神戸地方裁判所 平成2年(ワ)887号 判決 1991年5月22日
原告
岡村多花
被告
小川明
主文
一 被告は、原告に対し、金三五四六万〇〇九三円及び内金三二四六万〇〇九三円に対する昭和六〇年八月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その三を被告の、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金五八九八万八三〇〇円及び内金五四九八万八三〇〇円に対する昭和六〇年八月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、横断歩道上を歩行横断中に自動車に衝突されて負傷した児童(事故当時満四歳)が、自賠法三条に基づき損害賠償を請求した事件である。
一(争いのない事実)
1 被告は、昭和六〇年八月六日午後四時五五分ころ、神戸市須磨区友が丘二丁目五番地先神戸市道(以下「本件道路」という。)上において、被告が所有し自己のために運行の用に供する普通貨物自動車(軽四輪)(以下「加害車」という。)を運転して、本件道路を西進中、進路前方の横断歩道上を左から右へ歩行横断中の原告(昭和五六年四月二〇日生まれの女児)に加害車左前部を衝突させ、原告に対し、傷害を負わせた。
2 原告は、本件事故による損害のてん補として、被告から、
(1)治療費として、合計金四三六万五〇九五円(その内訳は、イ吉田病院自由診療分金一二九万五八八〇円、ロ吉田病院健保自己負担分金三三万六六九二円、ハ兵庫県立のじぎく療育センター健保自己負担分金二六七万二八三七円、ニ神戸大付属病院健保自己負担分金五万九六五〇円)、(2)コルセツト代として金一四万八〇四〇円、(3)付添看護費として金三六万一六〇〇円、(4)内払金として金二四万九三〇〇円、以上合計金五一二万三九九九円の支払を受けた。
二(争点)
1 (1)原告の傷病名、(2)治療経過及び(3)後遺障害の内容・程度
右(3)の争点のうち精神障害、後遺障害の程度に関する双方の主張は、次のとおりである。
(原告の主張)
昭和六三年四月に施行された原告の知能検査によると、原告の知能はIQ一〇一点と評価され、正常値であつたが、平成二年八月に施行された知能検査ではIQ七八点と評価された。右評価点は、正常と異常の境界線にあり、正常最下限にあるうえ、さらに原告の精神障害が進行し、近い将来、原告の知能の程度が「精神発達遅滞」(IQ七〇以下)に陥るおそれが十分にある。
いずれにしても、原告には明らかに精神能力の低下がみられ、身体的機能障害を補完すべき精神能力が著しく低下しているので、原告は、終身労務に服することができないばかりでなく、将来成人として独立した生活を営むことさえ困難な状態にあるものと認められるから、将来とも、日常生活を営むうえで、随時介護者を要する可能性も否定することができない。
かかる状況を斟酌すると、原告の後遺障害は、少なくとも「精神系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」として自賠責保険後遺障害等級三級三号に該当する。
(被告の主張)
原告の本件後遺障害は、神戸自動車損害賠償責任保険調査事務所により自賠責保険後遺障害等級九級一〇号に該当するとの認定を受けているので、九級が相当である。
ところで、前記昭和六三年四月の検査方法は、田中ビネー式知能検査であり、平成二年の検査方法は、WISC―R検査法であつて、これによる知能検査の知能指数は、言語性検査値が八五、動作性検査値が七三であるところ、右WISC―R検査法による検査値は、一〇〇を平均とした偏差値であつて、田中ビネー式知能検査等による他のIQとは理論的に異なつており、したがつて、相互に理論的根拠を異にする田中ビネー式知能検査とWISC―R知能検査の結果を比較することは無意味である。
原告は、WISC―R検査のうち、動作性検査値が劣つているが、これは自賠責保険後遺障害等級九級一〇号該当の認定を受けているとおり、運動障害の結果にほかならないから、原告の主張するような精神障害までは存在しない。
2 原告の本件事故による損害額
3 過失相殺の可否
過失相殺に関する双方の主張は、次のとおりである。
(被告の主張)
被告に、黄色点滅信号中の横断歩道での徐行義務違反の過失があることは認めるが、原告には、赤色点滅信号中の歩行横断であつたから、他の交通に注意して横断しなければならないのに、進行してくる加害車に注意せず、小走りで横断した過失があり、あるいは、かかる注意ができない幼児を単独で交通頻繁な道路を通行させた監督義務者の過失があるから、相応の過失相殺がなされるべきである。
(原告の主張)
本件事故当時、南北の横断方向の対面信号機が赤色点滅であり、東西の車両方向の対面信号機が黄色点滅であつたから、本件事故現場は、結局信号機による交通整理の行われていない横断歩道に関する場合と同等の注意義務が課せられるべきところ、被告は、前方に横断歩道があり、以前から横断者の多い横断歩道であることを知つていたのであるから、右横断歩道に接近するに当たり、その両側に横断しようとする者がいないかどうか十分確認し、かつ、減速していつでもその手前で停止できる速度で走行すべき義務があつたのに、右の確認を怠り、しかも、最高速度が時速三〇キロメートルのところを時速五五キロメートルで前記横断歩道を通過した重大な過失があるから、本件事故が被告の一方的な過失により発生したことは明白である。
また、横断歩道を横断する者は、横断歩道の手前で減速徐行しないばかりか、最高速度を時速二五キロメートルも超過する速度で横断歩道を通過しようとする無謀な車両のあることまでも予測して横断すべき注意義務を負うものではない。
以上のとおり、本件は過失相殺が適用されるべき事案ではない。
4 被告は、損害のてん補として、さらに、神戸市健康保険組合からの求償分として支払済の合計金五九五万六一五一円も原告の損害額から控除されるべきであると主張している。
第三争点に対する判断
一 原告の傷病名、治療経過及び後遺障害の内容・程度
1 傷病名
原告は、本件事故により、頭部外傷Ⅲ型(脳内出血)、外傷性クモ膜下出血、右大腿骨骨折、顔・左肩・右肘・左手手背打撲擦過傷の傷害を被つた(乙三の1)。
2 治療経過
原告は、昭和六〇年八月六日から同年一一月二三日まで一一〇日間吉田病院に入院し、その間、兵庫県立のじぎく療育センター(以下「のじぎく療育センター」という。)に転医するために同年一一月二〇日同センターに通院し、同年一一月二六日から昭和六一年一月一四日まで五〇日間のじぎく療育センターに入院し、右退院後通院したが、その間昭和六一年一月一六日から同月二五日まで一〇日間神戸大付属病院に入院し、さらに再度昭和六一年二月三日から昭和六二年一〇月三〇日まで六三六日間のじぎく療育センターに入院し、右退院後昭和六三年九月八日まで同センターに通院した(乙一の2ないし5)。
3 後遺障害の内容・程度
(一) 証拠(甲一ないし四、乙一の1ないし6、検甲五ないし一四、原告法定代理人)によると、原告は、本件事故による頭部外傷性後遺症(左疼性麻痺)により、昭和六三年九月八日症状固定と診断されたものであるところ、右症状固定時における後遺障害についての診断内容、障害の程度・内容は次のとおりである。
(1) 検査結果
CT検査上、右被殻部から頭頂部に脳軟化を示す低吸収域が認められ、波上右頭頂部に棘徐波混合波が出現し、右半球に徐波化が強い。
(2) 機能障害
左上下肢の筋の緊張が異常に高く(筋が常に収縮している)、左上下肢の随意運動が困難であり、左手指は屈曲位(常に手を握つた状態)で拘縮したままであつて、分離運動不能(個々の指をひとつずつ独立して動かせない)であり、左上肢及び左手は廃用に至つている。
左下肢に関しては、巧緻動作障害が著しいが、右下肢の運動能力が辛ろうじて保たれているため、辛ろうじて歩行が可能であるものの、歩行の能力としては、日常の生活を行うための最低限の程度にすぎない。
右上下肢に関しても、軽度から中程度の中枢性の麻痺が認められる。
以上の機能障害からすると、常識的な範囲での職業では就労不能と認められる。
(3) 精神障害
頭部外傷に起因する軽度の精神発育遅延や情緒障害が認められる。
(二) なお、証拠(甲六の1、2)によると、昭和六三年四月に実施された田中ビネー式による原告の知能検査結果によると、IQ一〇一であつたのに対し、平成二年八月に実施されたWISC―R検査法による原告の知能検査結果によると、IQ七八であることが認められるところ、原告は右IQの数値の低下をとらえて、原告の精神障害が進行し、近い将来原告の知能の程度が精神発達遅滞(IQ七〇以下)に陥るおそれがあると主張する。
しかしながら、証拠(乙四)によると、WISC―R検査法による検査値は、田中ビネー式等他のIQとは理論的根拠を異にすることが認められるので、前記二つの検査結果を単純に比較して原告の右主張の如き結論を導くのは困難といわざるを得ず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
また、被告は、原告には、機能(運動)障害以外の知能障害までは認められない旨を主張するが、原告の本件事故による後遺障害として、前記(一)の(3)で認定の精神障害が認められることは、証拠(甲一、原告法定代理人)から明らかである。
(三) そこで、前記(一)で認定の事実を総合して考えるならば、原告には、本件後遺障害により、神経系統の機能の障害による身体的能力の低下または精神機能の低下などのため、独力では一般平均人の四分の一程度の労働能力しか残されていないものと認めるのが相当であり、したがつて、「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」として、自賠責保険後遺障害等級五級に該当するものというべきである。
二 損害額〔請求額五四九八万八三〇〇円〕
1 治療費 金四三六万五〇五九円
(当事者間に争いがない。)
2 コルセツト代 金一四万八〇四〇円
(当事者間に争いがない。)
3 入院雑費 金九五万五二〇〇円
入院雑費は、一日当たり金一二〇〇円と認めるのが相当であるから、七九六日間で右金額となる。
4 付添看護費 金四九万五〇〇〇円
原告は、吉田病院に一一〇日間入院したが、証拠(甲二、原告法定代理人)によれば、原告は、当時四歳児で、右入院期間中立位不能、夜間失禁のため付添看護を要する状態にあり、その間原告の実母が付き添つていたことを認めることができ、近親者の入院付添費は、一日当たり金四五〇〇円と認めるのが相当であるから、一一〇日間で右金額となる。
5 逸失利益 金二七〇一万六八一七円
前記一の3で認定したところによれば、原告は、本件事故による後遺障害によつて、その労働能力を八〇パーセント喪失したものと認めるのが相当であり、そこで、弁論終結時年齢満九歳、就労可能年数満一八歳から六七歳まで、新ホフマン係数一九・五七四、逸失利益算定の基礎となる年収を平成二年度賃金センサス第一巻第一表、産業計・企業規摸計・学歴計・女子労働者一八歳ないし一九歳給与額(金一七二万五三〇〇円であることは、甲八の1により認められる。)として、原告の逸失利益を計算すると、次のとおり金二七〇一万六八一七円(円未満切捨て、以下同じ)となる。
一七二万五三〇〇円×〇・八×一九・五七四=二七〇一万六八一七円
6 慰謝料 金一四〇〇万円
以上認定の諸般の事情を考慮すると、金一四〇〇万円が相当である。
三 過失相殺
1 証拠(乙二の2ないし7、検甲一ないし四、原告法定代理人)によると、次の事実を認めることができる。
(一) 本件事故現場は、神戸市道である東西道路と団地内の南北道路がほぼT字型に交差している交差点であつて、東西道路の南側には団地があり、北側には生協の「コープ北須磨店」があり、本件交差点には右団地とコープ北須磨店を結ぶ横断歩道がある。
東西道路の最高速度は時速三〇キロメートルに規制されており、また、本件事故当時、東西道路の対面信号機は黄色点滅を、横断歩道の対面信号機は赤色点滅をそれぞれ表示していた。
(二) 被告は、加害車を運転して、時速五五キロメートルで東西道路を西進し、本件事故現場付近にさしかかつた際、進路前方に横断歩道を認めるとともに、対面信号機が黄色点滅を表示しているのを認めたが、横断歩道を横断する者がいないものと即断し、その有無を確かめることなく漫然と前記速度で進行したため、横断歩道上を赤色点滅信号のもとに左から右へ歩行横断中の原告を約一七・五メートル前方に認め、急制動の措置を講じたが、間に合わず、原告に加害車左前部を衝突させた。
なお、被告は、これまでに何回も本件事故現場を通行している。
他方、原告は、当時満四歳で、本件事故当日、母親の岡村潤子に連れられて、本件事故現場付近の団地内の親戚宅に遊びに来ていたが、原告は、独りで外で遊んでいたところ、急に、誰かを追いかけるようにして、右側から加害車が前記速度で接近してくるのに気がつかず、横断歩道上を横断し始めた。
2 被告は、進路前方に横断歩道を認めるのと同時に、黄色点滅信号を認めたのであるから、このような場合、徐行して横断者の有無を確かめ、その安全を確認して進行すべき注意義務があるというべきところ、被告は、これを怠り、前述のとおり、漫然と時速五五キロメートルで進行して本件事故を惹起した過失がある。
他方、本件事故当時満四歳にすぎなかつた原告自身には、事理弁識能力を認めることができないものというほかはないが、原告の監護義務者たる母親潤子には、かかる原告を独りで本件事故現場付近で遊ばせるなどこれを放置し、原告をして単独で加害車の接近している横断歩道を通行させたため、本件事故に至つたのであるから、被害者側にも過失があるといわなければならない。
3 双方の過失を対比すると、原告の損害額から二〇パーセントを減額するのが相当である。
したがつて、被告が原告に対して賠償すべき損害額は、金三七五八万四〇九二円となる。
四 損害のてん補 金五一二万三九九九円
原告が損害のてん補として受領した金員を控除すると、被告が原告に対して賠償すべき損害額は、金三二四六万〇〇九三円となる。
なお、被告が、神戸市健康保険組合からの求償に応じて支払つた治療費は、本来原告の負担すべき部分ではないから、損害のてん補分としてこれを控除の対象にすることは許されない。
五 弁護士費用〔請求額金四〇〇万円〕 金三〇〇万円
本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、金三〇〇万円と認めるのが相当である。
(裁判官 三浦潤)